出エジプト記6章
6:1 主はモーセに言われた。「あなたには、わたしがファラオにしようとしていることが今に分かる。彼は強いられてこの民を去らせ、強いられてこの民を自分の国から追い出すからだ。」
五章には、モーセが主に向かって、主が民を一向に救い出そうとしないことを訴えています。それに対して、これが主のお答えです。主は、何もしないのではありません。主がしようとしていることが今に分かるのです。その時が来れば、全てが明らかになります。モーセは、すぐに事が起こらないのを見て、落胆したり、嘆く必要はないのです。
そして、主は、計画をモーセに告げられました。ファラオは、強いられて民を去らせるのです。彼がしたくないと思っても、そうせざるを得なくなるのです。自分で追い出すようになるのです。主が事をなさるとき、それは、徹底したものになります。そのようにして、主の栄光を現されるのです。
6:2 神はモーセに語り、彼に仰せられた。「わたしは主である。
そして、ご自分の御名を名乗られました。「主」であると。
・「主」→ヤェホバ。
6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主という名では、彼らにわたしを知らせなかった。
主は、アブラハム、イサク、ヤコブに現れた時には、「全能の神」と名乗られました。しかし、主という名では知らせていませんでした。
・「全能の神」→シャダイ。
6:4 わたしはまた、カナンの地、彼らがとどまった寄留の地を彼らに与えるという契約を彼らと立てた。
そして、主は、彼らと結んだ契約について語られました。それは、主という名の意味を示すためです。
6:5 今わたしは、エジプトが奴隷として仕えさせているイスラエルの子らの嘆きを聞き、わたしの契約を思い起こした。
主は、イスラエルの子らの嘆きを聞きました。また、契約を覚えておられました。
なお、イスラエルの子らの嘆きを聞いたので、契約ほ思い起こしたわけではありません。主は、初めからこのようなことを計画し、契約を実現することで栄光を現そうとしておられたのです。
このように語ることで、「主」という御名は、契約の履行者であること告げられるのです。
・「思い起こした」→覚えていた。
6:6 それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。
イスラエルの子らに言うべきことを伝えました。
既に、主は契約を果たす方であることを告げられたのです。主という名は、契約の履行者を表す名です。その 方は、わたしは主であると初めに名乗られ、契約を果たすことを宣言されました。そして、具体的内容として、エジプトの苦役から導き出すことを示されたのです。
6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。
そして、主は、彼らを取ってご自分の民とすると言われました。神の所有であり、神が共におられる民です。そして、彼らの神となると言われました。彼らの支配者です。
そして、もう一度、「あなた方の神、主」と言われ、彼らとの関係を強調されました。そして、契約を果たす方であり、エジプトの苦役から導き出す方であることを彼らが知ることになることを示されました。
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地にあなたがたを連れて行き、そこをあなたがたの所有地として与える。わたしは主である。』」
そして、イスラエルの子らをアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地に連れて行き、所有地として与えることを示されました。最後に、わたしは、主であると言われ、契約の履行者であることを強調されました。
奴隷の苦役から連れ出すことは、悪魔の支配のもとに奴隷になっていたところから、神の支配に移すこと比喩となっています。そして、その民をご自分のものとされます。相続地を与えることは、御国の相続の比喩です。罪から解放され、御霊によって歩むことに対して、報いとして御国で永遠の資産を受け継ぐのです。そのことは、新しい契約として私たちに示されています。
6:9 モーセはこのようにイスラエルの子らに語ったが、彼らは失意と激しい労働のために、モーセの言うことを聞くことができなかった。
モーセの言うことを聞かなくさせたのは、失意と激しい労働です。これは、悪魔の策略の比喩です。イスラエルの子らは、現状の苦しみを見て、神の言葉を信じることができなかったのです。同じように、悪魔の支配のもとにあって、罪の中に生き、肉の働きに翻弄されている人にとって、神の約束は信じ難いものなのです。彼らは、御霊によって歩むことができること、そして御国を相続できることを信じないのです。
6:10 主はモーセに告げられた。
6:11 「エジプトの王ファラオのところへ行って、イスラエルの子らをその国から去らせるように告げよ。」
主は、モーセに、ファラオのもとへ行き、イスラエル子らを去らせるように告げることを命じられました。
6:12 しかし、モーセは主の前で訴えた。「ご覧ください。イスラエルの子らは私の言うことを聞きませんでした。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。しかも、私は口べたなのです。」
モーセは、それはできないと言いました。イスラルの子らが聞かないのに、ファラオが聞くことはないでしょうと。また、自分が口下手であることもその理由としてあげました。
モーセを不信仰にさせた要因は二つあり、一つは、イスラエル子らがモーセの言うことを信じなかったことです。これは、大きな落胆の要素となります。
ヘブル
13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にはならないからです。
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教会で、指導の働きをしている人を認めることは幸いです。彼らの働きの目的は、たましいのための見張りです。もし、聞かないとすれば、嘆きながらすることになります。
もう一つは、彼は、自分の能力を見ていたからです。彼に、主が初めに現れた時、柴は燃えず主の栄光が現されました。そのように、主が遣わされるのであれば、彼の能力にはよらないのです。また、主は、モーセに口をつけたのは、誰かと言われたのです。主が語らせるならば、語ることができるのです。
6:13 主はモーセとアロンに語り、イスラエルの子らをエジプトの地から導き出すよう、イスラエルの子らとエジプトの王ファラオについて彼らに命じられた。
6:14 彼らの一族のかしらたちは次のとおりである。イスラエルの長子ルベンの子はハノク、パル、ヘツロン、カルミで、これらがルベン族である。
6:15 シメオンの子はエムエル、ヤミン、オハデ、ヤキン、ツォハル、およびカナンの女から生まれたシャウルで、これらがシメオン族である。
ルベン族、シメオン族のかしらについて列挙されています。
6:16 家系にしたがって記すと、レビの子の名は次のとおり。ゲルション、ケハテ、メラリ。レビが生きた年月は百三十七年であった。
レビの家系について記されています。
6:17 ゲルションの子は、氏族ごとに言うと、リブニとシムイである。
6:18 ケハテの子はアムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエルである。ケハテが生きた年月は百三十三年であった。
6:19 メラリの子はマフリとムシである。これらが、彼らの家系によるレビ人の諸氏族である。
6:20 アムラムは自分の叔母ヨケベデを妻にした。彼女はアロンとモーセを産んだ。アムラムが生きた年月は百三十七年であった。
6:21 イツハルの子はコラ、ネフェグ、ジクリである。
6:22 ウジエルの子はミシャエル、エルツァファン、シテリである。
6:23 アロンは、アミナダブの娘でナフションの妹であるエリシェバを妻にし、彼女はアロンにナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを産んだ。
6:24 コラの子はアシル、エルカナ、アビアサフで、これらがコラ人の諸氏族である。
6:25 アロンの子エルアザルは、プティエルの娘の一人を妻とし、彼女はピネハスを産んだ。これらがレビ人の諸氏族の、一族のかしらたちである。
6:26 このアロンとモーセに主は、「イスラエルの子らを軍団ごとにエジプトの地から導き出せ」と言われたのであった。
6:27 エジプトの王ファラオに向かって、イスラエルの子らをエジプトから導き出すようにと言ったのも、このモーセとアロンである。
アロンとモーセの家系について明らかにされています。
6:28 主がエジプトの地でモーセに語られたときに、
6:29 主はモーセに告げられた。「わたしは主である。わたしがあなたに語ることをみな、エジプトの王ファラオに告げよ。」
6:30 しかし、モーセは主の前で言った。「ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。」
もう一度、主がモーセに命じられたことが記されていて、モーセは、口下手であれことを理由に、ファラオが聞かないと言っています。